関口 正美さんに聞く『アパレルと生きてきた』
インタビュー
2025.02.17
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人生の半分以上をアパレルと共に歩み、目まぐるしく変化する時代を第一線で走り続けてきた関口さん。現場で培ってきたノウハウと考え方を武器に、沢山の仲間に支持され、2019年には株式会社バーニーズ ジャパンの代表取締役に就任されました。アメリカで設立され100年以上の歴史を誇るバーニーズ ニューヨークを母体とし、ファッションリテール事業を展開してきたブランドを日本にどう根付かせてきたのか。その背景にある物語はどれも情熱に溢れていました。今回のインタビューでは、価値観にとらわれることなく好奇心と信念をもって業界をリードし続け、2025年1月1日より新たな道に進まれた関口正美さんにお話しを伺います。
アパレル業界との出会い
●アパレル業界に進んだきっかけ
大学卒業後は、アイビー・リーグ出身者や世界のエグゼクティブ、セレブに愛されてきた紳士服専門店が起源のブランド、ポールスチュアートジャパンに入社し、8年半在籍しました。
実は、大学を1年浪人して、さらに2年留年したから…卒業できたのは25歳の時!妹が商品企画として入社したアパレルブランドに、コネで入ったんですよ(笑)。普通に就職するのも大変だったし、もともと洋服に興味があったから迷わず入社を決めました。それに、僕らの時代はビームスやシップスの影響もあって、とにかくアメリカの文化に憧れがありましたから。僕自身、アイビー・リーグのファッションにすごく興味があった事もあり、毎日楽しく働いていましたよ。
最初は販売スタッフとして1年半の経験を積んで、その後は商品企画に異動。年に2回ニューヨークに行って、買い付けとかやるようになりました。いつも出張の期間は1週間くらいで、毎朝8時にオーナーにスケジュールを説明しにいくんだけど、「こことここの間は時間が空きすぎだ!」とか言って、どんどん予定が詰め込まれていくんですよ。朝から晩までもうバタバタ。取引先を駆け回っていましたね。大変だったけど憧れの地という事もあり、とにかく充実した時間でした。
でも、30代前半になった時かな。新しいチャレンジをする為に転職を決めたんですよね。
●バーニーズ ジャパンとの出会い
今から34年前、1990年の出来事です。8年半在籍したブランドを離れた後に、リクルート雑誌でバーニーズ ジャパンの求人を見つけて応募したのがきっかけです。前職で海外の商品をハンドリングしてきたこともあって、即日採用されました。時代はバブルの終わりかけで、バーニーズジャパンの親会社は伊勢丹。入社の1ヶ月後には日本1号店が新宿にオープンするって時でした。
僕が最初に配属されたのは、開店準備真っ只中の新宿店だったんだけど、店内はもうぐちゃぐちゃで(笑)。本当に、あと1ヶ月後にオープンできるのか?って思ったほどでした。陳列やディスプレイはもちろん、コンセプトすら固まっていない状況でしたから。オープニングスタッフが80人くらいいる中で、まずは全員が同じ方向を向いていけるよう最初に取り組んだのは、バーニーズの接客がどうあるべきか。コンセプトを決めることからでしたね。
当時は賛否両論ありましたが、『いらっしゃいませ』をやめて、『こんにちは』ってお客様をお迎えすると決めたんです。今ではそうしてる企業もありますが、当時はひとつもなかった。「Can I help you?」に近いニュアンスを目指したかったんですよね。お客様にとって近い存在になれる様に、飾らない言葉で距離を縮める接客を目指しました。
その後は、倉庫の物流を整えたり、販売統括部長、MD統括部長を経て、銀座店をオープンさせました。2008年にはアウトレット事業にも関わって、プロパーとは違う物流やオペレーションの管理を経験しています。2019年9月に代表取締役へ就任し、2024年6月に退任。翌月からは、顧問としてECプラットフォームの変更に携わり、半年間かけて物流の見直しを行ってきました。そして、2024年12月31日をもって、長年共に歩んできたバーニーズを卒業したんです。ようやく一区切りがついた感じ。こうやって振り返ると、本当に色んな経験をしてきましたね。
大学卒業後は、アイビー・リーグ出身者や世界のエグゼクティブ、セレブに愛されてきた紳士服専門店が起源のブランド、ポールスチュアートジャパンに入社し、8年半在籍しました。
実は、大学を1年浪人して、さらに2年留年したから…卒業できたのは25歳の時!妹が商品企画として入社したアパレルブランドに、コネで入ったんですよ(笑)。普通に就職するのも大変だったし、もともと洋服に興味があったから迷わず入社を決めました。それに、僕らの時代はビームスやシップスの影響もあって、とにかくアメリカの文化に憧れがありましたから。僕自身、アイビー・リーグのファッションにすごく興味があった事もあり、毎日楽しく働いていましたよ。
最初は販売スタッフとして1年半の経験を積んで、その後は商品企画に異動。年に2回ニューヨークに行って、買い付けとかやるようになりました。いつも出張の期間は1週間くらいで、毎朝8時にオーナーにスケジュールを説明しにいくんだけど、「こことここの間は時間が空きすぎだ!」とか言って、どんどん予定が詰め込まれていくんですよ。朝から晩までもうバタバタ。取引先を駆け回っていましたね。大変だったけど憧れの地という事もあり、とにかく充実した時間でした。
でも、30代前半になった時かな。新しいチャレンジをする為に転職を決めたんですよね。
●バーニーズ ジャパンとの出会い
今から34年前、1990年の出来事です。8年半在籍したブランドを離れた後に、リクルート雑誌でバーニーズ ジャパンの求人を見つけて応募したのがきっかけです。前職で海外の商品をハンドリングしてきたこともあって、即日採用されました。時代はバブルの終わりかけで、バーニーズジャパンの親会社は伊勢丹。入社の1ヶ月後には日本1号店が新宿にオープンするって時でした。
僕が最初に配属されたのは、開店準備真っ只中の新宿店だったんだけど、店内はもうぐちゃぐちゃで(笑)。本当に、あと1ヶ月後にオープンできるのか?って思ったほどでした。陳列やディスプレイはもちろん、コンセプトすら固まっていない状況でしたから。オープニングスタッフが80人くらいいる中で、まずは全員が同じ方向を向いていけるよう最初に取り組んだのは、バーニーズの接客がどうあるべきか。コンセプトを決めることからでしたね。
当時は賛否両論ありましたが、『いらっしゃいませ』をやめて、『こんにちは』ってお客様をお迎えすると決めたんです。今ではそうしてる企業もありますが、当時はひとつもなかった。「Can I help you?」に近いニュアンスを目指したかったんですよね。お客様にとって近い存在になれる様に、飾らない言葉で距離を縮める接客を目指しました。
その後は、倉庫の物流を整えたり、販売統括部長、MD統括部長を経て、銀座店をオープンさせました。2008年にはアウトレット事業にも関わって、プロパーとは違う物流やオペレーションの管理を経験しています。2019年9月に代表取締役へ就任し、2024年6月に退任。翌月からは、顧問としてECプラットフォームの変更に携わり、半年間かけて物流の見直しを行ってきました。そして、2024年12月31日をもって、長年共に歩んできたバーニーズを卒業したんです。ようやく一区切りがついた感じ。こうやって振り返ると、本当に色んな経験をしてきましたね。
『壁』や『苦労』の先に得たもの
●成果がでない時だってある
小売業って、毎日毎日売り上げがあがるわけじゃないじゃない? みんな、その数字に一喜一憂するんですよ。それがすごく辛いところ。成績が良いときは何も気にしないんだけど、思った様に伸びなかったり、厳しいときって「どうしたらいいんだろう」ってなるんです。なにか対策を立てなくちゃと。
でも、簡単に解決できるような策は必ずあるわけじゃないんだよ。僕は「絶対的な対策なんてあるわけない」と思っていますから。一番大変で一番大事なのは、苦しい時こそどうやってみんなの気持ちを繋げていくか。これが正解かどうかなんてわからないけど、次のステップ、そしてまた次のステップって、気持ちを持っていくしかないんです。
だからこそ、リーダーは長いスパンで物事を考えて、みんなにちゃんと説明してあげることが大事なのだと思います。短期間で解決策を出し続けるのは本当に難しいですから。半年先でも1年先でもいいから、みんなでアイデアを出し合って、前に進み続けていくってことが大切なんですよね。
● 昔も今も変わらない『課題』
アパレルの現場からスタートして、最終的には社長になったわけだけど、一番大きな課題はいつだってコミュニケーションだったね。上に立てば立つほど、「どうやって部下と接したらいいのか」っていうのは、常に悩んできたポイントでした。
ある時、スタッフから「私は2001年の面接のことを鮮明に覚えています」って言われた事があったんです。でも、僕は全然覚えていなくて…。その面接で、他の人には沢山質問していたのに、その子にはあまり質問できていなかったみたい。僕が聞いたのは、「美術館に行くのが趣味なの?」っていう一言だけ。そのコミュニケーションを、20年以上たった今でも覚えてくれていたんだよね。自分では何気なくした言動が、相手には強く印象に残ることがあるんだなって、改めて感じる事ができました。
自分にとっては些細なことでも、相手にとっては大きな意味を持つことがあるのがコミュニケーション。だからこそ、相手の気持ちにもう少し寄り添って接するべきだなってすごく勉強になりました。受け取る側の気持ちを考えることの大切さを、今になってより実感しています。対人関係って、本当に難しいよね。
ちなみに、苦い思いをしたこともありますよ。代表取締役に就任した当時、『360度評価』といって上司や同僚、部下、他部署など立場の違う様々な人から多角的な評価を受けて行う制度を取り入れた事がありました。自分では良かれと思ってやっていたことが、部下から見ると全然いい上司じゃなかったりして…。そんな、すごく厳しい評価をもらった事があるんですよね(笑)。気を使ってるつもりでも、実際はそう伝わっていなかった事がわかったんです。あの評価を見て、ショックを受けたこともあったなぁ。
●これが自分の武器
これまで色々な経験をさせてもらってきたおかげで、確かな引き出しが増えたかな。そして、引き出しが増えた今だからこそ自慢できるのは、僕には『人一倍の好奇心』があるという事です。
例えば、物流の専門家じゃない僕が物流を担当した時の話しなんですが、改めて商品を仕入れるところから店舗に出るまでの流れを学びました。当たり前に聞こえるかもしれないけど、そうする事で、今まで見えていなかった細かい部分を知る事ができたんです。流れを知る事はめちゃくちゃ重要!だって、業務がわかってないと、システム開発なんてできませんから。もちろんシステムの専門家でもないから開発が得意なわけじゃないんだけど、僕は、システム開発に欠かせない大事な要件定義が得意なんです。結局のところ、システムを作る人達だって業務がわかってないと良いシステムなんて開発できないんだよ。
わからないことがあれば何でも調べるし、恥ずかしがらずに聞いてみます。わからなかった事がわかる様になった時って、なんだか得した気分になるでしょう(笑)?そうやって、純粋に、好奇心を持ち続ける事ができているのは自分の強みだなと感じるんです。
今は、好奇心を満たすための道具だって充実してる。だって、携帯電話が1台あれば、欲しい情報はすぐに調べる事ができますから。我々の時代には考えられなかったこと。昔はテレビや新聞に出ている情報が全てで、自分で調べることが難しかったんですよ。誰でも簡単に情報が得られるなんて、いい時代ですよね。
小売業って、毎日毎日売り上げがあがるわけじゃないじゃない? みんな、その数字に一喜一憂するんですよ。それがすごく辛いところ。成績が良いときは何も気にしないんだけど、思った様に伸びなかったり、厳しいときって「どうしたらいいんだろう」ってなるんです。なにか対策を立てなくちゃと。
でも、簡単に解決できるような策は必ずあるわけじゃないんだよ。僕は「絶対的な対策なんてあるわけない」と思っていますから。一番大変で一番大事なのは、苦しい時こそどうやってみんなの気持ちを繋げていくか。これが正解かどうかなんてわからないけど、次のステップ、そしてまた次のステップって、気持ちを持っていくしかないんです。
だからこそ、リーダーは長いスパンで物事を考えて、みんなにちゃんと説明してあげることが大事なのだと思います。短期間で解決策を出し続けるのは本当に難しいですから。半年先でも1年先でもいいから、みんなでアイデアを出し合って、前に進み続けていくってことが大切なんですよね。
● 昔も今も変わらない『課題』
アパレルの現場からスタートして、最終的には社長になったわけだけど、一番大きな課題はいつだってコミュニケーションだったね。上に立てば立つほど、「どうやって部下と接したらいいのか」っていうのは、常に悩んできたポイントでした。
ある時、スタッフから「私は2001年の面接のことを鮮明に覚えています」って言われた事があったんです。でも、僕は全然覚えていなくて…。その面接で、他の人には沢山質問していたのに、その子にはあまり質問できていなかったみたい。僕が聞いたのは、「美術館に行くのが趣味なの?」っていう一言だけ。そのコミュニケーションを、20年以上たった今でも覚えてくれていたんだよね。自分では何気なくした言動が、相手には強く印象に残ることがあるんだなって、改めて感じる事ができました。
自分にとっては些細なことでも、相手にとっては大きな意味を持つことがあるのがコミュニケーション。だからこそ、相手の気持ちにもう少し寄り添って接するべきだなってすごく勉強になりました。受け取る側の気持ちを考えることの大切さを、今になってより実感しています。対人関係って、本当に難しいよね。
ちなみに、苦い思いをしたこともありますよ。代表取締役に就任した当時、『360度評価』といって上司や同僚、部下、他部署など立場の違う様々な人から多角的な評価を受けて行う制度を取り入れた事がありました。自分では良かれと思ってやっていたことが、部下から見ると全然いい上司じゃなかったりして…。そんな、すごく厳しい評価をもらった事があるんですよね(笑)。気を使ってるつもりでも、実際はそう伝わっていなかった事がわかったんです。あの評価を見て、ショックを受けたこともあったなぁ。
●これが自分の武器
これまで色々な経験をさせてもらってきたおかげで、確かな引き出しが増えたかな。そして、引き出しが増えた今だからこそ自慢できるのは、僕には『人一倍の好奇心』があるという事です。
例えば、物流の専門家じゃない僕が物流を担当した時の話しなんですが、改めて商品を仕入れるところから店舗に出るまでの流れを学びました。当たり前に聞こえるかもしれないけど、そうする事で、今まで見えていなかった細かい部分を知る事ができたんです。流れを知る事はめちゃくちゃ重要!だって、業務がわかってないと、システム開発なんてできませんから。もちろんシステムの専門家でもないから開発が得意なわけじゃないんだけど、僕は、システム開発に欠かせない大事な要件定義が得意なんです。結局のところ、システムを作る人達だって業務がわかってないと良いシステムなんて開発できないんだよ。
わからないことがあれば何でも調べるし、恥ずかしがらずに聞いてみます。わからなかった事がわかる様になった時って、なんだか得した気分になるでしょう(笑)?そうやって、純粋に、好奇心を持ち続ける事ができているのは自分の強みだなと感じるんです。
今は、好奇心を満たすための道具だって充実してる。だって、携帯電話が1台あれば、欲しい情報はすぐに調べる事ができますから。我々の時代には考えられなかったこと。昔はテレビや新聞に出ている情報が全てで、自分で調べることが難しかったんですよ。誰でも簡単に情報が得られるなんて、いい時代ですよね。

必要とされるスキル、人材とは
● 本当に必要なスキルが身につく時
お客様から学ぶ時じゃないかな。お客様から教えてもらえる事って、本当にいっぱいあるんです。若い時は人生の先輩から、年齢を重ねた今は若いお客様から。知識や刺激をもらえるチャンスはいつだって現場にありますよ。
それから、できれば自分のフィールドよりもちょっとだけ背伸びしたところに挑戦した方が、日々の成長は感じられますね。ちょっと背伸びしたところって、わからない事が山の様にあるからさ。例えば、普段着たことがなかったり手にした事がない商品って、自分のライフスタイルに合わないから理解がしにくいでしょう? だからこそ、好奇心を持って、なんでも知りたいって学んでいく事が1番の成長に繋がるんです。リアル店舗の強みって、お客様を肌で感じて通じ合うコミュニケーションが取れるところですから。それを最大限に活かす為に、スキルを磨き続けることが大切なんだと思います。
● 一緒に働きたいと思う人
温かみがあって、自然に笑顔が出る人ですね。よく『笑顔は基本』って言われてるけど、意外と自然に笑顔がでる人ってすごく少ないんです。実はこれ、半分は天性のもの。だから、僕が販売員だった時なんかは最初全然できなかった! 言い訳だけど、けっこう人見知りだったしね(笑)。でも、これは訓練すれば誰だって必ずできるようになるんだ。
だからもし、面接で自然に笑顔が出る人がいたら、そういう人は本当に大事にしたいと思います。みんな、面接の最初はニコニコしてるんですけど、ちょっと気を抜いた時に見えてくる。ふとした瞬間にも自然に笑顔になれる人って、本当に素敵なんですよ。それができる人ってどんな時でも周りを明るくできるし、お客様にも好かれますからね。
●『良いチーム』の条件
チーム全員が同じ方向を向かない限り、勝ち目はないんです。とりあえず、なんとなくで作ったチームって、なかなか貫徹できないでしょう? リーダーだけがどれだけ喚いたって、みんなに理解してもらえなかったら無理なんだよ。だから、それを防ぐためには絶対に一本、何か芯みたいなものを決めなきゃダメなんだと思います。コンセプトでもいいし、行動指針でもいい。何かしらの軸を決めて、ちゃんとみんなに説明して納得してもらう。
結果は後からついてきますから。まずはチームがチームとして動けるように、共通の考え方を理解してもらう事。それができなかったら、結局バラバラになっちゃうからね。土台はしっかり作らないと。
お客様から学ぶ時じゃないかな。お客様から教えてもらえる事って、本当にいっぱいあるんです。若い時は人生の先輩から、年齢を重ねた今は若いお客様から。知識や刺激をもらえるチャンスはいつだって現場にありますよ。
それから、できれば自分のフィールドよりもちょっとだけ背伸びしたところに挑戦した方が、日々の成長は感じられますね。ちょっと背伸びしたところって、わからない事が山の様にあるからさ。例えば、普段着たことがなかったり手にした事がない商品って、自分のライフスタイルに合わないから理解がしにくいでしょう? だからこそ、好奇心を持って、なんでも知りたいって学んでいく事が1番の成長に繋がるんです。リアル店舗の強みって、お客様を肌で感じて通じ合うコミュニケーションが取れるところですから。それを最大限に活かす為に、スキルを磨き続けることが大切なんだと思います。
● 一緒に働きたいと思う人
温かみがあって、自然に笑顔が出る人ですね。よく『笑顔は基本』って言われてるけど、意外と自然に笑顔がでる人ってすごく少ないんです。実はこれ、半分は天性のもの。だから、僕が販売員だった時なんかは最初全然できなかった! 言い訳だけど、けっこう人見知りだったしね(笑)。でも、これは訓練すれば誰だって必ずできるようになるんだ。
だからもし、面接で自然に笑顔が出る人がいたら、そういう人は本当に大事にしたいと思います。みんな、面接の最初はニコニコしてるんですけど、ちょっと気を抜いた時に見えてくる。ふとした瞬間にも自然に笑顔になれる人って、本当に素敵なんですよ。それができる人ってどんな時でも周りを明るくできるし、お客様にも好かれますからね。
●『良いチーム』の条件
チーム全員が同じ方向を向かない限り、勝ち目はないんです。とりあえず、なんとなくで作ったチームって、なかなか貫徹できないでしょう? リーダーだけがどれだけ喚いたって、みんなに理解してもらえなかったら無理なんだよ。だから、それを防ぐためには絶対に一本、何か芯みたいなものを決めなきゃダメなんだと思います。コンセプトでもいいし、行動指針でもいい。何かしらの軸を決めて、ちゃんとみんなに説明して納得してもらう。
結果は後からついてきますから。まずはチームがチームとして動けるように、共通の考え方を理解してもらう事。それができなかったら、結局バラバラになっちゃうからね。土台はしっかり作らないと。

歴史が刻まれる瞬間
●ブランドを根付かせる
やっぱり、ブランドを確立し根付かせるには『徹底すること』が大事ですね。ブランドって、開業してもすぐに形が決まるわけじゃないですから。もちろん最初のコンセプトは大事だけど、どんどん育てていくものなんだよね。
バーニーズ ニューヨークが日本にきたタイミングで、日本にはユナイテッドアローズが誕生しています。日本にも、ファッションに強い興味を持つ人が増えてきた時期だったから、セレクトショップとしての考え方は結構似てる部分があったんじゃないかな。でも、スタートした後にブランドを確立するのは、バーニーズの方が楽だったんじゃないかって僕は思っているんです。決して簡単だったという意味ではないんだけど、本家であるニューヨークの存在が大きかったからね。すでに世界的なブランドとして信頼されていたし、受け継げるものも沢山あった。もちろん日本的にアレンジした部分も多かったし、最初から全てが決まっていたわけじゃないんですけどね。
とにかく、「ああでもない、こうでもない」って、仲間と話して考えながら作り上げていきましたよ。例えば、企業に面接にいく場合って、リクルートスーツで行く事が一般的じゃない? でも、当時からバーニーズでは「私服で来てください」ってお願いをしていました。その人の個性がわかるし、ブランドが求めるものを体現できるかどうかを見極めることだって出来る。採用の時点からそういうスタンスを徹底して貫いてきた事で、ブランドの文化を浸透させる事ができたんだと考えています。
余談ですけど、昔パリコレに招待された時、バーニーズのメンバーには最前列ですごくいい席が用意されていたんです。でも、当時の親会社の偉い人達が行っても座れる席は2列目以降。「なんでお前らの方が前の席なんだ!」なんて怒られた事もありましたよ(笑)。でも、ブランドが認められ根付いているってこういう事なんだって。心から感じた出来事でした。
●歴史はどうやって刻まれるのか
最終的にブランドの価値とは、『お客様がどう感じるか』ということろにあるんじゃないかな。ブランドの評価=お客様の評価ってこと。もちろん売上規模も指標のひとつだけど、やっぱり店頭で受ける接客に勝るものはない。
以前、お客様にアンケートを取ることがあって、「バーニーズを支持する理由は?」って聞いたんです。その時に出てきた答えは、商品と接客でした。もちろん他の意見もあったけど、圧倒的に多かった要因はこの2つ。ここがブランドの成長にとって一番大事な事なんだなって強く感じました。
バーニーズのように様々なブランドをミックスして販売しているお店だって、最終的には『バーニーズ ニューヨーク』がブランドとして認知され認識されていく。今ではそう感じてくださる人が多いのも、長年培われてきたお客様の評価があるからです。つまり、ブランドの歴史が刻まれる瞬間っていうのは、お客様の評価が定着する時なんじゃないかな。ビームスやユナイテッドアローズも、個々の商品だけで評価されるというよりは、「ビームスだから」「ユナイテッドアローズだから」っていう信頼があるでしょう?そういう積み重ねが歴史になっていくんだと思うんですよね。
● この数十年で感じた、アパレル業界の変化
一番の大きな変化は、お客様の行動じゃないかな。例えば、昔はどの百貨店もエスカレーターが数珠つなぎになるくらい混んでいたんです。でも今は、それだけのお客様を呼び込むことも大変になってきた。その代わり、富裕層向けの外商に力を入れる戦略にシフトしてるよね。これって、「固定客を大事にする」っていう方向性に変わってるってことなんだと思うんだよね。
テレビやネットのニュースでも、インバウンドの影響がすごいなんて報道されているけど、実際にはインバウンド需要が伸びてるとはいえ、売上の平均は全体の30%くらい。この業界の全てを支え続けてくれるわけじゃないんです。都内では海外からのお客様が増えすぎて、日本人のお客様が落ち着かないって来店しなくなるという声も聞く様になりました。小売業全体としては、すごく微妙な分岐点に立っていると思います。
それに加えて、SNSやなんかの影響もすごく大きい。昔は、雑誌の広告に1000万くらいかけて、お店に足を運んでもらえる様に頑張っていたんですよ。でも今は、紙媒体の影響力が落ちてしまった。売り方だって、EC販売にシフトしてる企業が多いでしょう。大手アパレルブランドも、リアル店舗を縮小してECに移行する時代。あるブランドではECの売上が45%を締めているって話しもあるけど、それってリアル店舗が減ったから相対的に増えただけかもしれません。
今、小売業の一番の課題は「どうやってお客様に来店してもらうか」って事なんだと思います。リアルとデジタルの間でどうバランスを取っていくべきか、みんな悩んでる時期だと思うんですよね。お客様の行動、インバウンドの影響、ネット販売の台頭は、この先ももっと変化するんだろうな。
やっぱり、ブランドを確立し根付かせるには『徹底すること』が大事ですね。ブランドって、開業してもすぐに形が決まるわけじゃないですから。もちろん最初のコンセプトは大事だけど、どんどん育てていくものなんだよね。
バーニーズ ニューヨークが日本にきたタイミングで、日本にはユナイテッドアローズが誕生しています。日本にも、ファッションに強い興味を持つ人が増えてきた時期だったから、セレクトショップとしての考え方は結構似てる部分があったんじゃないかな。でも、スタートした後にブランドを確立するのは、バーニーズの方が楽だったんじゃないかって僕は思っているんです。決して簡単だったという意味ではないんだけど、本家であるニューヨークの存在が大きかったからね。すでに世界的なブランドとして信頼されていたし、受け継げるものも沢山あった。もちろん日本的にアレンジした部分も多かったし、最初から全てが決まっていたわけじゃないんですけどね。
とにかく、「ああでもない、こうでもない」って、仲間と話して考えながら作り上げていきましたよ。例えば、企業に面接にいく場合って、リクルートスーツで行く事が一般的じゃない? でも、当時からバーニーズでは「私服で来てください」ってお願いをしていました。その人の個性がわかるし、ブランドが求めるものを体現できるかどうかを見極めることだって出来る。採用の時点からそういうスタンスを徹底して貫いてきた事で、ブランドの文化を浸透させる事ができたんだと考えています。
余談ですけど、昔パリコレに招待された時、バーニーズのメンバーには最前列ですごくいい席が用意されていたんです。でも、当時の親会社の偉い人達が行っても座れる席は2列目以降。「なんでお前らの方が前の席なんだ!」なんて怒られた事もありましたよ(笑)。でも、ブランドが認められ根付いているってこういう事なんだって。心から感じた出来事でした。
●歴史はどうやって刻まれるのか
最終的にブランドの価値とは、『お客様がどう感じるか』ということろにあるんじゃないかな。ブランドの評価=お客様の評価ってこと。もちろん売上規模も指標のひとつだけど、やっぱり店頭で受ける接客に勝るものはない。
以前、お客様にアンケートを取ることがあって、「バーニーズを支持する理由は?」って聞いたんです。その時に出てきた答えは、商品と接客でした。もちろん他の意見もあったけど、圧倒的に多かった要因はこの2つ。ここがブランドの成長にとって一番大事な事なんだなって強く感じました。
バーニーズのように様々なブランドをミックスして販売しているお店だって、最終的には『バーニーズ ニューヨーク』がブランドとして認知され認識されていく。今ではそう感じてくださる人が多いのも、長年培われてきたお客様の評価があるからです。つまり、ブランドの歴史が刻まれる瞬間っていうのは、お客様の評価が定着する時なんじゃないかな。ビームスやユナイテッドアローズも、個々の商品だけで評価されるというよりは、「ビームスだから」「ユナイテッドアローズだから」っていう信頼があるでしょう?そういう積み重ねが歴史になっていくんだと思うんですよね。
● この数十年で感じた、アパレル業界の変化
一番の大きな変化は、お客様の行動じゃないかな。例えば、昔はどの百貨店もエスカレーターが数珠つなぎになるくらい混んでいたんです。でも今は、それだけのお客様を呼び込むことも大変になってきた。その代わり、富裕層向けの外商に力を入れる戦略にシフトしてるよね。これって、「固定客を大事にする」っていう方向性に変わってるってことなんだと思うんだよね。
テレビやネットのニュースでも、インバウンドの影響がすごいなんて報道されているけど、実際にはインバウンド需要が伸びてるとはいえ、売上の平均は全体の30%くらい。この業界の全てを支え続けてくれるわけじゃないんです。都内では海外からのお客様が増えすぎて、日本人のお客様が落ち着かないって来店しなくなるという声も聞く様になりました。小売業全体としては、すごく微妙な分岐点に立っていると思います。
それに加えて、SNSやなんかの影響もすごく大きい。昔は、雑誌の広告に1000万くらいかけて、お店に足を運んでもらえる様に頑張っていたんですよ。でも今は、紙媒体の影響力が落ちてしまった。売り方だって、EC販売にシフトしてる企業が多いでしょう。大手アパレルブランドも、リアル店舗を縮小してECに移行する時代。あるブランドではECの売上が45%を締めているって話しもあるけど、それってリアル店舗が減ったから相対的に増えただけかもしれません。
今、小売業の一番の課題は「どうやってお客様に来店してもらうか」って事なんだと思います。リアルとデジタルの間でどうバランスを取っていくべきか、みんな悩んでる時期だと思うんですよね。お客様の行動、インバウンドの影響、ネット販売の台頭は、この先ももっと変化するんだろうな。
この業界で働く方、そしてこれからチャレンジされる方達へ
とにかく、色んなことにチャレンジしてほしいですね。アパレル業界に限った話しじゃないけれど、今はチャンスが溢れ広がっている時代。グローバル化って言うと少し大げさかもしれないんだけど…日本の企業はどんどん海外に進出しているでしょう?フィールドは日本だけじゃないんです。自分次第でなんだってできるし、どこにだって行けるんですよ。
アパレルって、海外のブランドと接する機会がとても多い業界です。パリコレとかニューヨークコレクションとか、アパレルにはそういった国際的なイベントが当たり前にある。他の業界だと、なかなかそうはいかないよ。例えば、不動産業界の人から「世界の国際不動産コレクションやります」って話し、あんまり聞かないじゃない。でも、ファッションは違うんだ。世界が舞台なんだよ。今はアジアのデザイナーもすごく注目されていて、上海や韓国のマーケットもどんどん盛り上がってきています。そういう場に日本人が出て行っても、違和感はないんです。むしろ、活躍できる場が広がってるって感じますよね。他の業界に比べても海外との垣根が低いのが魅力の一つ。これだけ身近に海外を感じられる業界はそうそうないですよ!だからこそ、夢はどんどん広がるし、可能性はいくらでもある。もちろん努力は必要だけどね。
最近は「アパレル業界の元気がなくなってる」とか言われる事もあるけど、この業界がなくなることは絶対にありません。だって、服を着ない人はいないんだから!衣食住の『衣』なんだからさ。規模の変動はあるかもしれないけど、なくなることは絶対にない。むしろ、広い世界との壁がどんどん低くなってる今だからこそ、挑戦する価値があるんだよ。チャンスは志のある人にやってくるものだから。
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PROFILE
関口 正美
1957年 東京都出身。
大学卒業後は、株式会社ポール・スチュアートジャパンに入社し8年半在籍。その後、1990年に株式会社バーニーズ ジャパンへ転職し、2019年9月には代表取締役社長に就任。2024年6月に代表取締役社長を退任した後は顧問に就任し、2024年12月31日を持って退職。現在は、家族と趣味を楽しむ時間を第一に、これまでの経験を元に新たなプロジェクトの準備中。趣味は『料理』。
アパレルって、海外のブランドと接する機会がとても多い業界です。パリコレとかニューヨークコレクションとか、アパレルにはそういった国際的なイベントが当たり前にある。他の業界だと、なかなかそうはいかないよ。例えば、不動産業界の人から「世界の国際不動産コレクションやります」って話し、あんまり聞かないじゃない。でも、ファッションは違うんだ。世界が舞台なんだよ。今はアジアのデザイナーもすごく注目されていて、上海や韓国のマーケットもどんどん盛り上がってきています。そういう場に日本人が出て行っても、違和感はないんです。むしろ、活躍できる場が広がってるって感じますよね。他の業界に比べても海外との垣根が低いのが魅力の一つ。これだけ身近に海外を感じられる業界はそうそうないですよ!だからこそ、夢はどんどん広がるし、可能性はいくらでもある。もちろん努力は必要だけどね。
最近は「アパレル業界の元気がなくなってる」とか言われる事もあるけど、この業界がなくなることは絶対にありません。だって、服を着ない人はいないんだから!衣食住の『衣』なんだからさ。規模の変動はあるかもしれないけど、なくなることは絶対にない。むしろ、広い世界との壁がどんどん低くなってる今だからこそ、挑戦する価値があるんだよ。チャンスは志のある人にやってくるものだから。
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PROFILE
関口 正美
1957年 東京都出身。
大学卒業後は、株式会社ポール・スチュアートジャパンに入社し8年半在籍。その後、1990年に株式会社バーニーズ ジャパンへ転職し、2019年9月には代表取締役社長に就任。2024年6月に代表取締役社長を退任した後は顧問に就任し、2024年12月31日を持って退職。現在は、家族と趣味を楽しむ時間を第一に、これまでの経験を元に新たなプロジェクトの準備中。趣味は『料理』。

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