オードリーヘップバーンに愛されたGivenchy(ジバンシィ)
GIVENCHY
ブランド情報
2020.08.10
3,294 Views
『Givenchy(ジバンシィ)』といえば、ファッション以外にコスメや香水を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。Gが4つ並んだロゴも印象的ですよね!
多くの著名人やセレブに愛され続けているGivenchy(ジバンシィ)がどのように誕生したのか、天才と呼ばれた創業者の歴史と魅力に迫っていきます。
多くの著名人やセレブに愛され続けているGivenchy(ジバンシィ)がどのように誕生したのか、天才と呼ばれた創業者の歴史と魅力に迫っていきます。
天才と呼ばれたジバンシィ
GIVENCHY(ジバンシィ)
https://www.staff-b.com/brand/givenchy/
ユーベル・ド・ジバンシィという一人の男性によって生まれたブランドです。
ユーベルはフランス北部の貴族の家に生まれ、幼少の時に父を亡くし母と祖母に育てられたそうです。
芸術家の一族だったことから、幼いころから芸術の感性が磨かれていたのでしょう。ファッション誌を参考に人形の服を作ったり、幼いころから天才的な才能を発揮していたそうです。
デザイナーを目指すことを確信したのは、1937年に開催された『パリ万博』で、ユーベルがまだ10歳の頃でした。パリ万博で展示されたシャネルなどの衣装をみて、肩を並べるようなデザイナーになりたいと心に決めたそうです。
17歳の時にパリに上京し『ジャック・ファト』のクチュールメゾンで働きながら、多くの著名人が卒業した美術学校の『エコール・デ・ボザール』でデザインを学びました。卒業後はパリらしいクチェリエと呼ばれた『ロベール・ピゲ』や『リュシアン・ルロン』『エルザ・スキャパレリ』のもとで勤務し、デザイン経験を積んでいったのです。
1952年、ユーベルが24歳の時にアルフレッド・ド・ヴィニ通りに自身の名から名付けた『GIVENCHY(ジバンシィ)』を立ち上げたのでした。ファーストコレクションでは、セパレーツ(セパレート)を発表し、斬新なアイデアが賞賛され華やかなデビューを飾りました。
https://www.staff-b.com/brand/givenchy/
ユーベル・ド・ジバンシィという一人の男性によって生まれたブランドです。
ユーベルはフランス北部の貴族の家に生まれ、幼少の時に父を亡くし母と祖母に育てられたそうです。
芸術家の一族だったことから、幼いころから芸術の感性が磨かれていたのでしょう。ファッション誌を参考に人形の服を作ったり、幼いころから天才的な才能を発揮していたそうです。
デザイナーを目指すことを確信したのは、1937年に開催された『パリ万博』で、ユーベルがまだ10歳の頃でした。パリ万博で展示されたシャネルなどの衣装をみて、肩を並べるようなデザイナーになりたいと心に決めたそうです。
17歳の時にパリに上京し『ジャック・ファト』のクチュールメゾンで働きながら、多くの著名人が卒業した美術学校の『エコール・デ・ボザール』でデザインを学びました。卒業後はパリらしいクチェリエと呼ばれた『ロベール・ピゲ』や『リュシアン・ルロン』『エルザ・スキャパレリ』のもとで勤務し、デザイン経験を積んでいったのです。
1952年、ユーベルが24歳の時にアルフレッド・ド・ヴィニ通りに自身の名から名付けた『GIVENCHY(ジバンシィ)』を立ち上げたのでした。ファーストコレクションでは、セパレーツ(セパレート)を発表し、斬新なアイデアが賞賛され華やかなデビューを飾りました。
数々の運命の出会い
創業から1年後の1953年に、ユーベルは運命の人と出会いました。
その名は『オードリーヘップバーン』です。オードリーが主演した映画の『癒しのサブリナ』で本人より依頼され、オードリーのための衣装をデザインしたのです。その時の衣装は美しい花柄のロングスカートと黒いカクテルドレスでした。
その後もオードリーが主演した映画の7作品をジバンシィが手がけ、長きに渡って交友を深めていったのです。
一番有名な話は、『ティファニーで朝食を』でオードリーが着たジバンシィ作の黒のドレスが反響を呼び、オークションでは日本円で約1億円で落札されたということです。
もう一つジバンシィの名が広まったのが、オードリーにささげたと言われる香水『ランティルディ』です。
香水としても人気をなしたジバンシィはオードリーなくしては語れないほど、大きな存在だったといえます。
そしてもう一人、『ジョン・F・ケネディ』元大統領夫人の『ジャクリーン・ケネディ』もジバンシィの魅力に惹かれ、学生の頃からGIVENCHY(ジバンシィ)のサロンに通っていたそうです。
またユーベルのファッションへと導いた大きな存在が、『バレンシアガ』です。
ユーベルは幼いころからバレンシアガに憧れており、一番最初にデザインを始める時に門をたたいたのはバレンシアガでした。しかしバレンシアガのディレクターだったルネーに門払いされていたのです。
その後、自身がサロンをオープンした翌年にジバンシィと出会い友人となったのです。
その名は『オードリーヘップバーン』です。オードリーが主演した映画の『癒しのサブリナ』で本人より依頼され、オードリーのための衣装をデザインしたのです。その時の衣装は美しい花柄のロングスカートと黒いカクテルドレスでした。
その後もオードリーが主演した映画の7作品をジバンシィが手がけ、長きに渡って交友を深めていったのです。
一番有名な話は、『ティファニーで朝食を』でオードリーが着たジバンシィ作の黒のドレスが反響を呼び、オークションでは日本円で約1億円で落札されたということです。
もう一つジバンシィの名が広まったのが、オードリーにささげたと言われる香水『ランティルディ』です。
香水としても人気をなしたジバンシィはオードリーなくしては語れないほど、大きな存在だったといえます。
そしてもう一人、『ジョン・F・ケネディ』元大統領夫人の『ジャクリーン・ケネディ』もジバンシィの魅力に惹かれ、学生の頃からGIVENCHY(ジバンシィ)のサロンに通っていたそうです。
またユーベルのファッションへと導いた大きな存在が、『バレンシアガ』です。
ユーベルは幼いころからバレンシアガに憧れており、一番最初にデザインを始める時に門をたたいたのはバレンシアガでした。しかしバレンシアガのディレクターだったルネーに門払いされていたのです。
その後、自身がサロンをオープンした翌年にジバンシィと出会い友人となったのです。
ファッションを超えたデザイン
デザイナーとして数々の賞を獲得したユーベルは、デザイナーだけではなく経営者としても才能を発揮し、『GIVENCHY(ジバンシィ)』の存在を世界へ発信し続けたのです。
ファッションだけにとどまらず、香水・コスメ・アクセサリーなどのアイテムを増やしGIVENCHY(ジバンシィ)だけで全てが揃うブランドを作り上げました。
そして、ブリュッセルのヒルトンホテルの改装や、自動車の内装も手がけ、インテリア業界にも進出し壁紙やテーブルウェアなどもデザインしました。
1995年にはメゾンから身を引き、最後のコレクション発表には純白のコートを着てデザイナー人生に幕を閉じ
ユーベルらしい幕引きとなりました。
その後数々のデザイナーがGIVENCHY(ジバンシィ)のコレクションを発表しますが、低迷期を迎えます。
それから2005年『リカルド・ティッシ』が就任によってGIVENCHY(ジバンシィ)をよみがえらせたデザイナーとして高評価を受け、かつての栄光を取り戻し、今も世界で愛されるラグジュアリーブランドであり続けています。
ファッションだけにとどまらず、香水・コスメ・アクセサリーなどのアイテムを増やしGIVENCHY(ジバンシィ)だけで全てが揃うブランドを作り上げました。
そして、ブリュッセルのヒルトンホテルの改装や、自動車の内装も手がけ、インテリア業界にも進出し壁紙やテーブルウェアなどもデザインしました。
1995年にはメゾンから身を引き、最後のコレクション発表には純白のコートを着てデザイナー人生に幕を閉じ
ユーベルらしい幕引きとなりました。
その後数々のデザイナーがGIVENCHY(ジバンシィ)のコレクションを発表しますが、低迷期を迎えます。
それから2005年『リカルド・ティッシ』が就任によってGIVENCHY(ジバンシィ)をよみがえらせたデザイナーとして高評価を受け、かつての栄光を取り戻し、今も世界で愛されるラグジュアリーブランドであり続けています。
会社情報
■会社名
LVMHファッション・グループ・ジャパン株式会社 ジバンシィジャパン
■本社所在地
東京都港区北青山3-5-29 ONE表参道
※2020年7月時点の情報に基づく
LVMHファッション・グループ・ジャパン株式会社 ジバンシィジャパン
■本社所在地
東京都港区北青山3-5-29 ONE表参道
※2020年7月時点の情報に基づく
Academia For You
同じカテゴリのアカデミアをあなたへ